こんにちは。久々のブログ更新です。
本日は、今年の2月下旬より1ヶ月間ニースに滞在されたお客様よりいただきましたニースでのロングステイ体験談をご紹介します。
1ヶ月の滞在中、テニスを中心に、絵画やゴルフ、小旅行など、さまざまなアクティビティをされました。7つのテーマ別にロングステイでの体験や現地の様子をエッセイ風に書いていただき、写真もたくさんいただきましたので、皆様へ紹介させていただきます。
「ニース1ヶ月の断片」 関西在住 A様
1.思い切って挑戦
「暮らすように旅する」ニースへの誘いを友人から聞いたのは去年(2015年)の秋も深まったころだった。暮らすという「日常」、旅するという「非日常」、これをうまく組み合わせて、いっしょに味わうなどということは、以前ならお金持ちの贅沢といわれたりして、勤め人育ちにはとても手の届かない生き方であった。しかし最近は様々な情報を駆使して主として団塊世代の元気な人たちの間で上手に楽しんでいる人が増えている。
フランスといえばかれこれ20年以上も昔、パリから新幹線でマルセーユまで旅行したことがあり、そのときはそこから先の地中海沿いの観光地への旅は時間の関係で断念、将来の楽しみに残しておいた夢のリゾートゾーンであった。もう齢70半ばを過ぎて先は永くはないうえに、体調を崩している家内は今回は日本に残さざるを得ないものの、日本の冬の寒さが大嫌いでこれを避けたい自分としては、ツアー会社の協力をもらえるならなんとか実践できるかもしれない、こんな思いに駆られて一度挑戦してみる気になり、一ヶ月の滞在を申し込むことにした。
ニースの海辺。ときにまだ肌寒い早春だが、小石の多い浜辺の食卓でくつろぐ人も多い。
2.テニスできてこそ
僕の日本での生活ではテニスは日常そのものである。旅にあってもラケットは欠かせない。飛び切り上等なプレーはできないが、健康維持のバロメーターはコートに立てるかどうかなのであり、
どこかテニスができるように手立てを講じてほしい、というのが旅行社への最低限の要望であった。返事は「十分いけますよ」だった。ニースに来て最初に出向いたのはテニスクラブだった。
紹介されたアパートから坂道をのぼって丘の中腹まで徒歩約15分。赤土のコートが13面。ほかに若い人向きの練習コートが5 面。創設125年になる名門ニースローンテニスクラブ。後で聞いたが旅行社の社長さん自らコートに近いアパートを探して借り上げてくれたのだった。さっそく申し込み手続きして1ヶ月会員になることが許された。旅行社は練習相手になる日本人会員も紹介してくれた。ゲームをしてくれるフランス人の年配会員とも知り合いになれ、週に3,4日テニスができた。フランス語は特に聞き取りができないので、英語を交え身振り手振りの交流である。帰国直前にはマダム3人と連日ダブルスができ、クラブのレストランでビールで乾杯、「また来てよ」「多分ね」の約束ができた。
いっしょにゲームをしてくれたマダムたち。ラケットを力いっぱい振り回してパワフル。
赤土コートのニース ローンテニスクラブ。手前がクラブレストラン。丘にアパート群。
3.雨のち晴れ、小旅行、ゴルフ
来たばかりの2月下旬、ニースは雨が続いた。コートダジュール(紺碧海岸)の名前が泣くなあと思ったが、聞いてみると、近ごろは春先のこの季節珍しくはないことで、やはり気候の変動はどことも激しくなっているようだ。2月末の有名なカーニバルの大人形パレード。昨年末のパリ連続テロの影響で観光客もかなり減り、軍の厳戒が続くなか、花火は雨で中止になった。
3月にはいると途端に青空が一面に広がった。日差しを浴びてさっそく車で30分のモナコから国境の町マントン、さらにイタリア領土に足を踏み入れる小旅行。帰りは鷺の巣で知られる香水の村エズに立ち寄って、みやげ物を買った。
テニスほど日ごろ力は入れてないが、せっかく世界でも有数のリゾート地に来たからにはゴルフもやってみたいと旅行社に希望を出していたら、日本人会の女性会長さんの口利きで和食レストランの経営者を紹介され、カンヌ近くの格式あるムージャンというゴルフコースに連れて行ってもらえることになった。靴とボール、手袋だけを持参するという不届きなゴルフ好きだが、クラブとカートを借りて、地元の日本人会員2人と計4人で回ることができた。昼食抜き18ホールをカートを引っ張って一気にまわるプレー方式だが、雄大な景色に囲まれ、贅沢な気分を味わえた。
モナコの近く。海岸沿いを走るローカル列車。
モナコの中心、要塞跡地の大公宮殿と市街地
モナコ公国モンテカルロの市街とヨットハーバー
モナコの近く、鷺の巣村のエズの中世の家
4.町歩き、迷い道、食べ歩き
ニースの町は狭い道が入り組んでいて、道路わきには路上駐車が間隔のないぐらい並んでいる。よくこんなに並べられるよと感心するぐらい。7階建ての多いアパートやホテル、商業ビルなどがぎっしり軒を並べて、よくみると飾り窓やバロック風彫刻などの石造りからコンクリートなど時代はまちまちだが、よく似た色合いの建物が多いから道を外見からは簡単に覚えることはできない。建物の隅っこに表示してある道路名を頼りに、たまに海が見えたら方向がわかるぐらいで、道を覚えるのは容易ではない。車は右側通行だから、日本人の左側感覚だと、バス、トラムの駅に行くにも逆になるから、ついうっかりしてたら跳ね飛ばされそうになる。まったく油断ならない。一方通行の道も多いから、バス停探しに慣れるのに時間がかかる。歩道に犬の糞もよく転がってるから用心用心。
アパート住まいだから昼食、夜食をとるため、繁華街によく出かけたが、バスを使いこなせないうちはよく迷い子になった。地図は道路名がすべて入ったものを持っていないと、迷って無駄な時間を過ごすことになる。町歩きのとき、高齢になるほど悲しいことに小便が近くなるから、催したときはすぐ近くのバーかカフェに飛び込んで、コーヒー代2ユーロ前後を払いトイレに飛び込むこと。ホテルや店では大抵断られる。
ニース旧市街の広場で毎週月曜に開かれる蚤の市
ニース旧市街、機関銃を構えながらテロ警戒を続ける3兵士
5.日仏文化の交流
短い滞在期間だったが、日本の文化がこの地の人たちにずいぶん愛されていることを実感した。あるとき繁華街の日本人経営の居酒屋で生け花展が開かれているのを知った。店の休日の日曜日、客席を取り払っていろんな作品を机に並べ、日本女性の先生がたくさんのフランス人生徒のおばさんに品評していた。そのなかには後でテニスコートで一緒にゲームをすることになる人もいた。
ゴルフの仲介をしてもらった日本人会女性会長は、自らピアノの演奏会を町の古い教会ホールで開いて、みごとな腕前を披露した。6,70人の男女参加者はほとんどフランス人。そこに来ていたニース在住40年の日本女性は毎月定例の読書会を開いて、おもに明治の文豪や三島由紀夫、村上春樹らの作品を読んでフランス人といろんな話題を話し合ってるといっていた。以前観光業界の仕事にも就いていただけに現地に溶け込んでフランス語も達者。
ニースの日本人経営居酒屋で開かれていたいけばな展
6.巨匠画家、終焉の地
コートダジュールは、パリで活躍した画家の巨匠たち、ピカソやルノアール、シャガール、マチスらが明るい光と色彩を求めて移り住み、晩年を過ごした土地である。
長い長い海岸線、ニース近郊に点在する小高い山の中腹には城壁に囲まれた石造りの古い家の集落があり、教会の塔を中心に肩を寄せ合って暮らしてきた姿が今なおありありと残っている。
降り注ぐ日を浴びて白や薄茶色、ピンクと緑の木々の柔らかな調和、そして温暖な風土が美の大家たちをとらえて離さなかったのだと実感できる。アンティーブのピカソ美術館、カーニュのルノアール美術館、サンポール・ロザリオ教会にマチスの絵を訪れたときもそんな景色があふれていた。その途中、家族3人と一緒に眠るシャガールの墓にも立ち寄った。
手前の漁港と小高い城跡の森の向こうに広がるニースの市街とはるかな山並み
7.日本女性画家のレッスン
旅行会社事務所にたまたまネパールで25年過ごした日本人女性画家が夫とともに訪れたことがきっかけで、絵画の先生として絵を描く基本的技法を、学ぶ機会ができた。
過去にはテニスと同様、絵画の基本を学んだことはなかったが、
見よう見まねで水彩やパステルの絵を描くことはあった。この滞在の機会に、近郊至る所にある画題を描きたい希望は持っており、実際に絵画教室でフランス人に習おうと体験レッスンも受けてみたが、やはり言葉の壁を感じ、日本語で習うことに方針を変えた。
彼女はイギリス人の夫とともにニースの近郊に暮らし始めた。夫婦で街中に出てくるときにアパートまで来てもらって基本のデッサンやクロッキーを教えてもらった。合計10時間あまりで当然そんな短期に十分わかることはありえないが、絵画に取り組む姿勢というものが少しわかった感じがした。街中でスケッチしてきた絵を仕上げるには、いくら時間があっても足りない。
ようこそツアーには大変お世話になり、十分すぎるほど良くしてもらったと正直感謝してます。
ようこそツアースタッフより
この度は、海外ステイ〜暮らすように旅するニース〜をご利用いただき、本当にありがとうございました。A様は毎日アクティブにテニスや町歩き、小旅行、絵画レッスンなどをされ、とても充実した滞在をされたようで、私たちとしても、短い間にたくさんのことをこなされ、驚きとともに、ともて嬉しく思います。
また、現地でのフランス人や日本人の方々ともすぐに仲良くなり、テニスを一緒にしていたフランス人マダム達に至っては、またね!の約束をされたとのこと、いかに現地人に溶け込んでいたかということですね。ぜひ次回は、懐かしい気持ちでニースへ戻ってきてください!